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高松高等裁判所 昭和57年(ネ)38号 判決

控訴人

Y(仮名)

右訴訟代理人

乙川(仮名)

被控訴人

X(仮名)

右訴訟代理人

甲山(仮名)

外三名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一  申立

(控訴人)

1  原判決を取消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

(被控訴人)

主文と同旨

第二  主張

当事者双方の主張は次のとおり付加するほかは原判決事実摘示のとおりである。

(控訴人)

第一  損失負担約束(乙第一号証)の効力について

一  原判決は、乙第一号証の損失負担約束は被控訴人を法的に何ら拘束するものではないとしているが、次に述べるとおり、事実誤認、法令解釈の誤り、法令適用の誤りがある。

二  また原判決は、乙第一号証は控訴人が被控訴人の被用者であるB(仮名)のセールスマンとしての弱みにつけ込んで、控訴人が本文を口述して書かせたものをそのまま記載されたものであると認定している。しかしこの認定は事実に反する。すなわち、

1  もし、乙第一号証が、控訴人が事実Bに口述させた文書であるなら文中の控訴人名義の宛名にY「様」とは書かない筈である。また、藤川京太郎、西岡実、細川俊彦の各名義は、控訴人が税金の関係から使用していた架空名義であり、それは控訴人自身と考えて良い名義であるから、口述にて文章化する際、控訴人自身が藤川京太郎様「ご名義」とか西岡実様「ご名義」とか細川俊彦様「ご名義」とかわざわざ敬語を使用して口述さすことは通常考えられない。

2  次に、右Bの証言によつても、少なくとも乙第一号証の元になる書面では、「X証券○○支店長K」の記載は既になされており、社判は押捺されていたものである。そうなると右書面のうち白紙の部分には制限があり、事前に文章を考えずに、控訴人がそのまま口述して白紙の部分にこれを納めることは非常に困難な事である。ましてや、乙第一号証には、捨印がないので訂正ができない事を考えるとなおさらそれは困難な作業である。なお、本訴に至るまでの交渉の中において、控訴人が口述させたという主張はなされていなかつた。

3  そうすると、これは控訴人自身が述べている如く、同人の口述によるものではなく、Bが既に考えていた文章をその場で乙第一号証の元になる文書に書き込み、これを更に乙第一号証に書きたしたと考えるほうが経験則に合致する。

4  また、原判決は控訴人がセールスマンとしてBの弱みにつけ込んで乙第一号証を作成させたとしているが、Bの「弱み」とは何を指すのであろうか。控訴人は昭和五一年五月ころから被控訴人と株式の取引を開始するまでは、主として丙証券、丁証券等で公債等の取引をなしていたものであり、株の取引はセールスであるBを知つてからが最初である。しかも、控訴人は本件のA株の取引を始める数か月前に、Bの世話による科研化学株で約金六〇〇〇万円の損が出ており、昭和五四年度では結局合計金二億円の損が出ていたものである(Bの証言)。従つて控訴人としては、以後、被控訴人との株取引をやめる決心をしていたものであり、事実、当初Bから本件のA株の取引を勧められた際、これを断わつている。ところが右BはA株は本社の推奨株であり、損金が出れば保証すると執拗に勧めるので、乙第一号証の書面を受領して本件取引を始めたものである。すなわち、Bは自分の担当する顧客に株の売買をさせて、被控訴人の手数料収入を増加させ、その結果自分の成績を上げるために違法な乙第一号証を作成してまで控訴人と本件取引をなしたものである。これがなぜ、Bの「弱み」になるのか理解しがたい。むしろBは登録された外務員であるから、証券取引法(以下、証取法という。)第五〇条の規定を当然知つている筈であるから、仮に控訴人から損失負担の申し入れがあつたとしてもこれを拒否し、反対に控訴人にそれを注意すべき立場にあつたものである。また、仮にBが乙第一号証を無理に書かされたとしても、実際にA株を買わなければ済む筈である。原判決がこれらの点に配慮することなく、漫然と控訴人がBの「弱み」につけ込んだと認定したのは、株式売買の手数料獲得のため熾烈な競争をしている業界の事情を考慮しなかつたためと思われる。現に、被控訴人はBの行動を非難するものの、本件A株二〇〇万株の売買で得た被控訴人の手数料だけでも相当高額なものになる筈である(乙第四号証)。

三証取法第六四条について

(一)1  証取法は、一般投資家を保護することをその立法趣旨の一つに置いているからこそ損失補償を約する取引の勧誘を禁止したり(同法五〇条)、証券会社の外務員に、会社に代つて有価証券の売買、その他の取引に関し一切の権限を与える規定を置いているのである。(同法六四条)ところで証取法第六四条一項の規定は民法の表見代理の規定を一歩進め、証取法が一般投資家保護の要請から証券会社の外務員に特別に権限を与えることによつて、それだけ証券会社にその結果につき、責任を負担させた規定であると解すべきである。

2  しかるに原判決は、本件損失負担約束は証取法第五〇条で禁止されていることを理由に同法六四条一項の「その他の取引」に当然含まれないとし、含まれるとするためには顧客がこれを立証しなければならないという。しかしながら本件は同条にいう「その他の取引」に関してなされたものでなく、「有価証券の売買に関して」なされたものである。また同法六四条一項は外務員の適法な営業行為の場合だけを規定しているものではなく、少なくとも外形的に見て外務員の行為が証券会社の有価証券の売買、その他の取引に関してなされたと認められる限り、その適法、違法を問わず外務員に裁判外の一切の権限が与えられていると解すべきである。従つて本件はBが「有価証券の売買に関し」損失負担約束をなしたものであるからその適否に係わらず本条に含まれ、右Bの行為につき被控訴人には責任があるというべきである。なぜなら、この様に解さなければ証取法が民法の表見代理の規定がある上に更に本条を定めた意味がないことになるし、一般投資家保護の趣旨にももとることになるからである。従つて原判決が被控訴人の外務員である前記Bの本件損失負担約束の行為が証取法第六四条第一項に該当しないとしたのは同法の解釈を誤り、その適用を誤つているものである。

(二)  控訴人は証取法第六四条第二項の「悪意」に該当しない。

1 原判決は控訴人が昭和五五年二月一三日支店長のKが乙第一号証の存在を知つて、その現物を見せて欲しいと要求した際、控訴人がこれを拒否したことを悪意の要素と考えている如くであるが、翌一四日にK支店長が一人で訪れた際にはこれを見せているものであり、これをもつて直ちに悪意とは即断できないものである。

2 また原判決は、その際控訴人が右Kに対し「誓約書の存在を期日が来るまで本社に報告するのを見合わせたらどうか」という旨の発言をしたと認定しているがこれは事実を誤認している。右の趣旨の発言をなしたのはKである。Kは右の発言を否定する証言をなしているが、本社から本件に関し、控訴人に直接交渉が来たのは期日到来後の同年四月二〇日ころ被控訴人の「中国・四国地区担当常務取締役Fが控訴人宅を訪れたのが最初である事からして、Kの証言は信用できない。すなわちBの社印盗用の行為は被控訴人としては実印盗用に相当する重大な事件である筈である。従つて仮に、発覚後直ちに本社に報告していたとするKの証言が真実なら、発覚後約二か月も本社から控訴人に対し、何らの接渉がないのは不自然である。また期日到来まで待つて利益があるのはその間にA株の値が上つて、実質上の損害が発生せず、乙第一号証が問題にならなくてすむK支店長の立場であつて、控訴人には何らの利益はない。

以上の理由から原判決はこの点の事実を誤認している。

3 控訴人は被控訴人との株取引については現物の株券はほとんど被控訴人に預け「証券預り証」の交付を受けていたものである。この預り証には乙第一号証に捺印された社印が押捺されており、これは単なる社印ではなく、個人の実印に相当するものである。だからこそ、預り証にこの社印が押捺されてない場合は預り証自体が無効となるのである(乙第五号証)。控訴人がBの「本社及び支店長の幹部も損失の負担を了承している」旨の発言を信じたのは、乙第一号証の誓約書に預り証に押捺されている実印とも云うべき社印が押されていたからである。まさか、Bが容易にこれを盗用しているとは全く疑いを抱かなかつたものである。もし、盗用の疑いを抱いていたなら、二度も社印を押させることはしない筈である。

4 控訴人は、本件A株の信用取引を開始するに際してBの指示に従い丙証券に預けていた公社債等をその担保にすべく被控訴人に委託変えを行つているが、その額は数億円にもなつている(Bの証言)。従つて仮に控訴人が「悪意」であるなら、将来、紛争が生じた際被控訴人から担保として押えられることを承知の上でわざわざ丙証券に預けている数億円の公社債を被控訴人に委託変えをすることは常識上考えられない。控訴人は被控訴人も了承していると善意に考えていたからこその行動であると理解するのが経験則に合致する。

四以上述べた理由により、被控訴人の外務員Bの乙第一号証の損失負担約束の行為は、証取法第六四条第一項に該当し、かつ控訴人には証取法第二項の「悪意」に該当しないので、被控訴人は右Bの行為に関し、責任があり、控訴人に対し、本件信用取引決済損金を請求できないというべきである。

第二  権利濫用ないし信義則違反の主張

一被控訴人は我国の四大証券会社の一つに数えられる会社であるが、本件は、その被控訴人の被用者が実印ともいうべき重要な社印を二度に渡つて盗用し、支店長の氏名を偽造して一投資家にすぎない控訴人に金一億四六一六万五九八九円もの大きな損害を与えた特殊な事件であること、それにもかかわらず被控訴人は右事件発覚後、信用取引の決済期日到来までの約二か月間も何らの善後策を取つていないこと。

二その後昭和五五年四月二〇日ころ、前記の如く常務取締役Fが初めて控訴人宅を訪れ、その際、被控訴人側の非を認め、一定の手順に従つて控訴人の損害を負担する旨の供述をなしたこと、その後、被控訴人も認める如く某代議土の仲介により控訴人の前記損金のうち、九割を被控訴人が負担し、一割を控訴人が負担するとの和解案が提示され、被控訴人はこれに同意したが、控訴人は乙第一号証の存在を理由にこれを拒否したため和解成立には至らなかつたこと。

三控訴人は、某代議士よりの一割案の提示を受け、これを拒否した後の同年八月中ころ、右Fに対し、電話で、全額の負担を頼んだところ、同人は、某代議士が全額支払えというのならこれに応じる意思のある旨の回答していること。

等の事情を考え伴わせると少なくとも一時は被控訴人においても、本件につきその責任を認めていたものと云うべきであり、禁反言の法理からしても被控訴人が本訴において損金の全額を請求することは権利の濫用ないしは信義則に違反するものである。

第三  相殺の予備的主張

仮に、控訴人が本件損金を被控訴人に対し支払わなければならないとするなら、控訴人は被控訴人に対し同額の不法行為債権を有しているので本書面においてこれと相殺する意思表示をする。その理由は次のとおりである。

(一)  Bは被控訴人の被用者であり、同人の本件乙第一号証の社判窃用、及び署名偽造の行為は被控訴人の「事業の執行」に際してなされたことは明らかである。その結果、控訴人は本件損金と同額の損害を蒙つたものであるから被控訴人は民法七一五条により控訴人に対し、右損害を賠償する責任がある。よつて、該不法行為債権をもつて本件損金と相殺するものである。

(二)  なお、判例は相手方に重大な過失があつた場合には民法七一五条の適用を否定している。しかし、判例の云う「重大な過失」とは相手方が「法律上、保護に値いしないと認められる」程度のものであり、「故意に準ずる程度の注意の欠訣」があり、「公平の見地上相手方に全く保護を与えないことが相当と認められる」場合を指すのである(最高裁判所昭和四四年一一月二一日第二小法廷判決。)。

(三)  本件においてこれをみるに、被控訴人は四大証券の一つに数えられる大会社であり、Bはその被用者である。いわば身内である。これに対し、控訴人は一投資家にすぎない。そして本件は、結果的には実印とも云うべき社判の管理の不備から発生したともいえるものであり、その責は被控訴人にこそあれ、控訴人にはない。また被控訴人は本件取引により高額の手数料収入を得ている。従つて原判決の如く本件の金一億四〇〇〇万円もの損金を全額控訴人に負担させることは、Bの犯罪行為、被控訴人のBに対する監督不充分、及び社判の管理不備等の原因によつて発生した本件のすべての責任を控訴人に一方的に課す結果になり不当である。前記最高裁判所の判例からしても、控訴人には「故意に準ずる程度」の過失もなく、「公平の見地から保護を与えることが相当でない」場合にも到底該当しない。

(被控訴人)

控訴人の前記主張を認めない。

控訴人の主張第一について

二1について

乙第一号証作成の経緯は、Bが詳細に証言しているとおりで、控訴人は、その文章中、宛名に「様」づけをしたり、敬語を使用していることが口授によらない証拠であるというが、控訴人のBに対する立場から見て、そのようなことは何の不思議もない。なお宛名を「Y様」としてくれと述べたことは、控訴人自身認めている(原審被告本人調書一六帖裏)。

同2について

乙第一号証は、Bの証言するとおり、当初この基となる口授筆記文書があつたものを書写したものである。

当初の文書は、Bが控訴人から「スペースが小さいから書ききれないといけないから、小さな字で」と命じられて書いたことから(B証人調書一六帖表裏)、乙第一号証よりも、小さな字で行をつめて書かれていた。乙第一号証は、この基の文書を書写したものであることから、よりおさまりがよくなつているだけのことである。

同3について

控訴人は乙第一号証は口述によるものではなく、Bが既に考えていた文章を書き込んだものであると主張するが、それなら、控訴人が支店長の署名以外白紙のものを要求してもつて来させるなんの意味もない(白紙で持参したことは、控訴人本人が供述するところである―被告本人調書一五帖表裏)し、また、それなら二度目の折には当然全文を書いて持参するよう命じた筈である(この間の事情は、被告本人調書一八帖以下)。

同4について

A株式買付の経緯は、Bの詳細証言のとおりである。

控訴人は、「昭和五一年五月ころから被控訴人と株式の取引を開始するまでは、主として丙証券、丁証券等で公債等の取引をなしていたものであり、株の取引はセールスであるBを知つてからが最初である。」「控訴人は本件のA株の取引を始める数か月前に、Bの世話による科研化学株で約金六〇〇〇万円の損が出ており、昭和五四年度では結局合計二億円の損が出ていた。」「従つて控訴人としては、以後、被控訴人との株取引をやめる決心をしていた」「当初、Bから本件のA株の取引を勧められた際、これを断つている。ところが右BがA株は本社の推奨株であり、損金が出れば保証すると執拗に勧めるので、乙第一号証の書面を受領して本件取引を始めたものである」旨主張するが、全く事実に反する。

控訴人は、当時被控訴人との株式取引をやめるどころか、その前の損をばん回するよう頑張れと命じて、取引に積極的な意欲を示していた(因に、それまでの年間差引損益は、昭和五一年度一六〇〇万円利益、昭和五二年度七〇〇万円損失、昭和五三年度八四〇〇万円利益、昭和五四年度二億一〇〇〇万円損失という状態で、当時直近で大きな損が出たが、それまではむしろ利益を上げて来ていたものである。)

控訴人は、あたかも株式取引はBにそそのかされて被控訴人会社とのみ行つていたかのような主張をしているが、控訴人が本件A株式買増しのため、保証金代用担保として丙証券から移管して来た証券を見ても、別紙のとおり株券が四二銘柄、合計一〇一万一三〇〇株、当時時価約五億円に上るのに対し、公社債は二銘柄、額面九五〇万円であるに過ぎない。

また、A株式取引は、控訴人自身が戌証券からの情報をもつてその積極的意思で注文されたものであり、丙証券にあつた証券を移管し、これを担保に最初一〇月五日、六日と六七万九〇〇〇株の買増注文が行われ合計八五万九〇〇〇株を買建てたものであるが、その後更に一〇月一一日、一三日、一五日、一六日、一七日とBの予想しなかつた担保株式追加差入れによる注文を申出られ、同株式一〇九万一〇〇〇株の買建増を行われているのである。

また、問題の損失補償要求も、当初の一八万株注文のあとで要求されたものであり、その要求も控訴人自身の買増注文分、更に将来買建てるかも知れないE商事分にまで及んでおり、乙第一号証の差入れがA株式注文の条件や動機であつたことはない。

控訴人は、Bが証取法第五〇条の規定を知つていたから、控訴人の損失負担申入れを拒否し、注意すべき立場にあり、無理に書かされたとしても注文に応じなければ済んだ筈である旨主張するが、控訴人が過去においてBに対し同様に、誓約書差入れの要求をし、Bが拒んだにかかわらず、乙第二、三号証のような全く理不尽な一札を作らせていることからもうかがえるとおり、控訴人の要求と意思に逆らうことは、当時のBの立場から事実上不可能なことであつた。

控訴人はまた、Bが手数料を増加させるため違法な取引をしたというが、控訴人は被控訴人のみとでも当時一〇億円以上の運用資産で株式取引を行つており、上述のように、昭和五一年度は一六〇〇万円、昭和五三年度は八四〇〇万円もの利益を出し、積極的な証券投資を行い、当時Bに対して直近の科研化学株式取引などの損失ばん回を督励されていたものである。

前記控訴人の主張三(一)について

証券取引法第六四条の規定は、従前これにつき疑問のあつた証券会社外務員の代理権につき明確化すべく設けられたものであり、控訴人主張のように「証券会社の外務員に特別に権限を与え」た規定ではない。同法所定の代理権は、証券会社本来の営業の業務範囲及びその附随業務についてのものであつて、損失負担取引というような証券業本来の義務に属しない行為についてまで規定したものではない。損失負担約束による有価証券取引というようなことが、証券会社本来の業務に含まれないことは、証券取引が本来売買の損益いづれもが取引者に帰属することを前提とする投機的取引であつて、取引による損害を、売買注文の受託者である証券会社に負担させ、注文者が損害の帰属を免れるというようなことが、証券取引の本質に反することとして、証券取引法上も禁止されていることから明らかなことである(損失補償約束というようなことは、控訴人のいうように「有価証券の売買に関し」「外形的に見て」外務員の代理権の範囲に属するものではない。)。

同(二)について

1の部分について

控訴人は、昭和五五年二月一四日にK支店長が一人で控訴人宅を訪れた折に、乙第一号証の書面を見せたから控訴人の悪意を即断できないと主張するが、事実に反する。同日もKはこれを見せてくれるよう懇請したが拒否され、(このことは控訴人自身認めている。本人調書二六帖裏)、更に同月一八日には乙第二号証、三号証を見せられたが、乙第一号証は見せて貰えなかつた(K証人調書第一七帖表裏)。K支店長が、乙第一号証の内容を正確に知つたのは、同年三月二六日になつて、はじめてその手写を許されたときであり、そのゼロックスコピーをはじめて入手できたのは、昭和五五年一一月二七日控訴人から被控訴人会社本社宛送付されたものによつてである(乙第一一号証の三)。控訴人は、その悪意を否定するが、そもそもBに対する乙第一号証の要求が、「君のではまずい、支店長の誓約書をいただいて欲しい」といつてされていること(B証人調書一〇帖裏以下)は、控訴人がBにそのような権限がないことを自ら認めたことに外ならない。

2の部分について

控訴人は、「発覚後約二か月も本社から控訴人に対し、何らの接渉がないのは不自然である」といい、本社F担当常務が控訴人宅を訪れたのは、昭和五五年四月二〇日であると主張するが全く事実に反する。

同常務が控訴人宅を訪ねたのは、昭和五五年三月三〇日であり、それまでK支店長において、上述のように、乙第一号証の内容を知らせてくれるよう控訴人に懇請する一方、建玉の今後の処置についての相談や、新取引の申出を受けたりし、控訴人との接触を続けていたものである。

控訴人は、「期日到来まで待つて利益があるのは」「K支店長の立場であつて控訴人には何らの利益はない」旨述べているが、右念書徴求につき後めたい気持が強い控訴人が、この問題を、できれば本社にまで表沙汰にせずおきたいと考え、「期日が来るまで、本社に報告するのを見合せたらどうか」と述べたことは至極当然のいきさつである。

3の部分について

控訴人は、「もし盗用の疑いを抱いていたなら二度も社印を押させることはしない筈である」旨述べるが、それなら何故二度目の乙第一号証をとるまで、其の書面を留置していたのであろうか。また、何故支店長に直接指示、或はひと言でも連絡しなかつたのであろうか。控訴人は思うままにBをからかい、なぶり、あやつつていたとしか評しようがない。

4の部分について

控訴人は「丙証券に預けていた公社債等」を「Bの指示に従い」委託変えしたというが、右証券(公社債は僅かでほとんど株券であることは上述のとおり)は、注文のあつたA株買建のため当然に必要な保証金代用有価証券担保として移管差入れを申出られたものであつて(被告本人調書一九帖)「Bの指示に従い」「わざわざ」「常識」外の委託変えをしたなど筋違いの主張である。殊に一〇月一一日以降になされた注文の担保移管については、Bはそのような株券がまだ丙証券に残つていることを知らず、これを移管担保化してなされた一〇九万一〇〇〇株の追加買増の注文は、Bも予想しなかつた、専ら控訴人の側からもたらされた買注文であつた。

控訴人の主張第二について

一について

被控訴人会社の社員であるBが、被控訴人会社の社印を盗用、支店長の文書を偽造した行為は、被控訴人として弁明の余地のない事実である。しかし右Bの行為は、控訴人が元来そのような文書の要求が許されるべきでないことを承知の上でこれを強要した結果に出でるものであり、また右文書の交付がA株式買付の条件或は動機とはならないこと、既に述べたとおりである。逆に、右文書の交付は、同株式買付に損失を生じた場合にこれを利用してK支店長ないしBに取引上、或は公募公開株の交付などにより、損失ばん回をはからせるべく圧迫する道具として交付せしめたものであることは、控訴人とBとの過去の接触経緯上明らかな事実である(もし、右文書をオフィシャルにとろうとしたのであれば、当然Kに直接要求した筈である。裏からの圧迫材料としてBに作らせたものであること明らかといわねばならない)。すなわちBの控訴人に対する本件偽造文書交付は、本来控訴人の側の不当な原因に基いて行われたものである一方、その交付は控訴人買付のA株の取引上の損害となんらの因果関係もなく、この文書の交付自体により控訴人になんらの損害もないものである。

二、三について

控訴人は被控訴人会社常務取締役Fが「昭和五五年四月二〇日に控訴人宅を訪れ、その際被控訴人側の非を認め、一定の手順に従つて控訴人の損害を負担する旨の供述をなした。」と主張するが、否認する。

F常務が控訴人宅を訪ねたのは前述の如く昭和五五年三月三〇日のことであり、その際、F常務は本件については今後、甲山弁護士を代理人として話合いを行い度い旨述べたもので、事実その後の交渉は甲山弁護士によつて行われている。

八月二〇日、控訴人からF常務宛に電話があつたが、その内容は、「某代議士には大蔵省証券局に行つて話してくれるよう頼んだだけで、同氏に最後の解決まで依頼はしていない。某氏がこれまで何といつていようと全額を支払つて貰いたい」というものであつた。これに対しFは、これを拒否し、この件については既に申上げてあるとおり、甲山弁護士に委任しているので、同弁護士と話して欲しい旨伝えたところ、控訴人は、弁護士は相手にしない、Fから返事を求めると述べたので、Fは再びこれを拒否し話を打切つたものである。この点についての控訴人の主張は全く事実無根のことである。

第三について

不法行為成立の主張を否認する。くり返し述べたように、本件偽造文書交付は、控訴人において、本来証券取引上許されない不当な保証を要求したが、結果的にそれに失敗したものに止まり、A株式取引自体は、完全に本人の意思にもとづく正常な取引として行われたものである。

右保証要求が許されないことを控訴人自身熟知していたことは、控訴人が熟練した投資家であつたこと、乙第一号証及びそれ以前の、乙第二、三号証をK支店長に秘し続けていたことから明らかである(もし、右書面をオフィシャルにとろうとしたのであれば、当然Kに直接要求した筈であること上述のとおりである。)。右保証の取付けは、A株式買付の条件でも、動機でもなかつたから、右A株式買付により生じた損金とBの偽造行為との間には、なんの因果関係もない。

以上により、本件につき、A株式の損失を損害とする不法行為成立の余地はない。

万一、本件につき不法行為成立の余地ありと仮定した場合、被控訴人は以下控訴人の諸過失を理由として、その損害全部につき過失相殺の主張をする。

(1) Bの偽造行為は、証券取引上損金全額の保証などという取引があり得ず、負担約束が法律上禁止され、一般取引上も例のないことを熟知する控訴人の不当な要求を原因として行われたものであり、違法性はむしろ控訴人の側にあること

(2) K支店長の書面を要求しながら、これをBにのみ求めつづけ、Kには直接なんらの要求をせず、また、連絡などの行為も一切行つておらぬことは、同書面徴求につき、控訴人に故意にひとしい重大な過失が存するといわざるを得ないこと

(3) 同書面取付以前において、既にA株式一八万株は注文ずみであつたこと、また、昭和五四年一〇月一一日から一七日にかけて注文の一〇九万一〇〇〇株買付は、専ら控訴人のみの意思による買付注文であつたこと、またこのことからするも本件A株式注文は、すべて完全に原告の意思により行われたものであるといえること

(4) A株式買付後、A株式は値上りにより度々利益をとる機会があり(途中確実に一億円の利益を上げ得る機会があつた)かつ、Bからこれを告げて売却決済方をくり返し願つたにかかわらず、控訴人においてこれを無視し続けて損失をまねいたものであること

以上いずれの点をとつて見ても、控訴人の過失は、本件A株式についての控訴人の損失すべてを控訴人自身に負担せしめるに値する、故意にひとしい過失といわざるを得ないものである。

第三  証拠〈省略〉

理由

一本件に対する原裁判所の事実認定と判断は原審で提出された証拠に当審で追加された証拠を総合して行つた当裁判所の事実認定、判断と一致するので次の二の訂正を行つて原判決を引用し、後の三以下の説明を付加する。

二原判決七枚目裏七行目の「並び」の次に「原審証人Kの証言及び原審当審」を付加し、同九枚目表五行目と一一行目、一一枚目表五行目、同枚目裏三行目の「被告本人」を「原審及び当審における控訴本人」と改め、同九枚目裏三行目の「、」の次に「原審当審」を加え、同一一枚目表四行目から五行目にかけて「証人K及び同」とあるのを「原審証人K、原審当審証人」と改める。

三控訴人は当裁判所の引用する原判決が「控訴人がBの弱身につけこんで云々」といつたことを不当だといつているが、〈証拠〉によると、被控訴人の社員であるBにとつては控訴人は巨額の株の取引をする大顧客で、控訴人を顧客から失うことはB個人の営業成績を大巾に減少させるため失いたくなかつたこと、Bは過去にも二度にわたり控訴人の求めで誓約書(乙第二、三号証)を入れたことがあり、これも違法であるからこれを暴露されるのが怖かつたため、やむを得ず乙第一号証を控訴人に差入れたことが認められ、これを以つて弱身につけ込んだとみることができるので控訴人の主張は理由がない。

四控訴人は原審当審における本人尋問において、控訴人は過去に株取引の経験はなくセールスマンのBが乙第一号証により被控訴人が訴外Aの株式取引によつて生ずることのある損金を全部負担することを約したのは当時被控訴人がAの株を推奨し、自社の資本をあげて買い進み値上りを策する考えであつたからそれは可能であつた。控訴人はBに売買を一任していて、五〇〇円儲けがあつても儲けのうちであり、儲けが一億円なければならぬといつたことはない。Bが利益が上つているから売るようにと勧めたことは全くないと供述しているが、〈証拠〉によると、被控訴人○○支店のセールスマンのBは控訴人が年収数億円もある病院経営者で丙証券等と取引のあるいい得意先と知つて控訴人に接近し各種の株式取引を勧めたであろうことは想像に難くないが、控訴人は本名のほかに三個の架空名を用い昭和五一年五月以来被控訴人○○支店と株式取引を行い、昭和五四年一〇月本件取引のため丙証券から被控訴人へ移管した保証金の代用証券には四九銘柄の株式一〇一万一三〇〇株、七五〇万円の国債、二〇〇万円の大阪ガス転換社債が含まれ当時の時価でも五億余円に上つていること、控訴人が仕手株とかナンピン買いとかの用語は勿論信用取引という玄人にしか仲々できない取引を行つていることからみて控訴人は株式取引の玄人でとても素人とはいえず、本件A株の取引についても当時被控訴人のほか、A株式の受託管理会社である訴外戌証券からも情報を得ていたとみられること、被控訴人○○支店長のKが控訴人からはじめて乙第一号証のことをきかされたのは昭和五五年二月一三日の夜のことであり当時Kが控訴人にそれを見せてくれと要求したのに見せるわけにはいかんといつて見せなかつたこと、翌一四日控訴人がKに電話し「A株の決済期日は四月でまだ先のことであるから昨日の話はきかなかつたことにし期日が来てから考えたらどうだ、本社への報告も見合せたらどうか」と申入れたこと、その日の晩Kは次長のUとBを連れて控訴人方を訪れ「Kが年末年始の挨拶に控訴人方へ赴いたときも控訴人は乙第一号証について何の話もしていないではないか、前年一一月一〇日ごろからAの株が値上りしたのでBが約一億円の利益があるからと売却を勧めたが控訴人がもつと頑張るといつて売らなかつたのではないか」といつて乙第一号証を見せてくれと要求したが控訴人は乙第一号証を見せなかつたこと、同月一八日Kがまた控訴人方を訪れたときも控訴人はKに乙第二、三号証をちらりと見せただけで、乙第一号証を見せなかつたこと、Aの株は昭和五四年一一月二日ごろから同月二〇日まで値上りし、四九八円ないし五〇四円という高値の時がありBが乙第一号証を差入れていたため心配でこの時なら当初の見込の一億円の利益が得られたので控訴人にその売却を勧めたが控訴人がまだ値が上るといつて売ることを承諾せず結局値下りして本件損金の発生となつたこと、被控訴人が会社として値上りを策していたものならBだけでなく支店長も控訴人に会い被控訴人が会社として売るときの指導をしたのでないかと想像されるのに左様な形跡がないこと、乙第一号証の社印はBが盗用して押したものであるが文言は控訴人の指示でBに書かせたものでタイプによるものでないことが認められるほか、Bは当時三〇才そこそこの社員で責任ある地位、役職の肩書もなかつたことに徴し、かつ、株式取引は投機という人間の射倖心に訴えるもので値上り値下りを当然としそれを目的に投資されるものであつて被控訴人が正式に値上りによる利益を保証するようなことはできないものであることは明らかであるから控訴人の前記供述は措信し難く、控訴人は乙第一号証は被控訴人が会社として正式に出したものでなくBが個人として出しているにすぎないことを認識していたものと判断できる。

五控訴人は証取法第六四条二項の「悪意であつた場合」に該当しないとの主張について

1  証取法第六四条二項の「相手方が悪意であつた場合」というのは、相手が当該外務員に代理権が欠缺ないし制限されているのを知つている場合だけでなく、外務員が行つた当該取引上の意思表示が証券会社の正当な業務のために行つていないものであるのを認識している場合及びその認識がなくとも、それに気付かなかつたことにつき重大な過失がある場合も含むと解するのが相当である。けだし、証取法第六四条の規定は一般投資家の保護を目的とするものではあるが、取引における信義則からもまた民法第九三条の類推解釈からも、相手方において当該外務員の行為が証券会社の正式の行為として行うものでないことを知つている場合またはそれを知らないことにつき重大な過失がある場合にも、その一般投資家に対し、証券会社はその外務員の行為につき責に任じないと解するのが相当だからである。

2  原審において控訴本人は、Kに乙第一号証を見せると破られると思い見せなかつたのであり昭和五五年二月一八日には控訴人が手で押えて乙第一号証を写させたと供述しているが、Kという本人の氏名が書かれている乙第一号証をその本人に見せるのに控訴人がそれほど警戒せねばならなかつたということは、乙第一号証が控訴人の要求でBに勝手に書かせたにすぎないもので被控訴人の本社や○○支店が責任をもつものと認識していなかつたことを裏書きしているものというべく、Bが自己の保身のために支店長名義を冒用したものであると知らなかつたとしたら控訴人がそう思うことに重大な過失があつたといわねばならないので、控訴人が乙第一号証の存在を理由に被控訴人の本訴請求を拒むことはできないといわねばならない。

六権利濫用ないし信義則違反の主張について

原審証人Kの証言、弁論の全趣旨によると、被控訴人は乙第一号証が被控訴人の知るところとなつて後控訴人の依頼した某代議士を通じて和解案が出され損金の一割を控訴人が負担しその一割も公募株等で控訴人にはほとんど実損がないように取はからうことが提案され被控訴人はそれを承諾する意向であつたが控訴人がこの案を拒否したことが認められるところ、右和解案を提示した被控訴人の姿勢につき当不当の見解はあつても、和解案を拒否したのは控訴人であり、法規を守り大蔵省の行政指導を受ける立場にある被控訴人が本訴請求をするのは当然であつてこれを以て権利濫用とか信義則違反ということはできないので、控訴人のこの主張は理由がない。

七相殺の予備的主張について

控訴人は、Bが社印を盗用し乙第一号証を偽造したことは犯罪行為であり控訴人はこれにより本件損害を被つたから不法行為を構成し、その使用者である被控訴人は損害賠償責任があるというが、控訴人が乙第一号証が真正に成立したものでないこと又はその内容の実行不可能なことを知つていたこと、従つて被控訴人が責任を負うべきものでないことを知つていたか知らざることに過失あること前記説示のとおりであり、かつ原審当審証人Bの証言によれば本件損金はBが控訴人に売却を勧めてもこれに応じなかつたため生じたものであること、本件のような巨額の取引を控訴人がBのような一セールスマンに委せきりで行つたとは認められないことに鑑み、本件損金は控訴人の意思に基づく投機取引により生じたものであつて、Bの行為によつて生じたものでなくBの行為と本件損害との間には相当因果関係がないといわねばならない。控訴人が乙第一号証を正式なものと信じていたとは思えないが、正式なものと信じていたとしたらそう信ずるについて重大な過失があるので控訴人の予備的主張は採用できない。

Bがいかに控訴人からの要請であつてもこれに応じて乙第一号証を差出したことは証取法第五〇条の禁止規定に違反するので行政上、厳重に処分されるべきであり、かかる社員を使つている被控訴人も監督不十分の落度があり、行政上の処分を受くべきは当然であるが、そのことと本件損金との間に相当因果関係があるとはいえない。

さらに、控訴人は本件取引前にもBに乙第二、三号証を書かせ、これによる取引はBの方で公募株を控訴人に提供する等して損失を補填したので、本件取引も乙第一号証があるので行つたとみることはできるし、Bが控訴人に売却時の勧めを誤つたりして損失を生じさせたのなら、Bは乙第二、三号証の場合と同じく公募株の割当等で将来にわたり控訴人の損失補填を考えたであろうとは想像できるが、前記のごとくBに誤導はなかつたといえるしA株の最高値のころBから売却を勧められた控訴人が、その勧めに従わなくても乙第一号証で被控訴人に損失を負担させうると考えていたとしたら左様なことを信ずる控訴人に重大な過失があるので控訴人は被控訴人に本件損金の責任を問えないものといわねばならない。

従つて、被控訴人が控訴人の本件損害につき損害責任を負担することを前提とするこの抗弁は理由がない。

八よつて、本件控訴は理由がないのでこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法第九五条本文、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(菊地博 滝口功 川波利明)

(別紙)〈省略〉

《参考・第一審判決理由》

一 請求原因事実は当事者間に争いがない。すなわち被告は、原告会社主張のように、昭和五四年一〇月一日から同月一七日の間に原告会社○○支店に委託して信用取引による株式の買付をなし、これについて昭和五五年四月一日から同月一七日の間に反対売却決済の委託をしてその執行を受けた結果、諸掛り、並びにA株式会社株式の昭和五五年三月三一日割当五分無償増資の新株引受権放棄に伴う調整金分担金及び同株式の同月末配当落に伴う配当落調整金の損益計算込みで、合計金一億四、六一六万五、九八九円の決済損を生じたものである。

二 これによつて被告は原告会社に対し右決損金の支払義務を負担するものであるところ、被告は、昭和五四年一〇月一日、原告会社○○支店長Kが被告に対し誓約書をもつて右の決済損は原告会社においてこれを負担し、被告に対してはその支払請求をしない旨の損失負担約束をした旨主張するが、右事実を認めるに足る証拠はない。すなわち乙一号証(誓約書)には被告の右主張に沿う原告会社○○支店長K名義の損失負担文言の記載が存するものであり、且つ同人の名下の原告会社印影が原告会社の印章によつて顕出されたものであることは当事者間に争いがないところであるが、〈証拠〉によると、昭和五四年一〇月一日、被告は原告会社○○支店外務員Bに委託してA株式会社株式一八万株を信用取引によつて買建てたが、その後もBがA株の一〇〇万株にわたる追加買建を勧めたところ、被告は、同月四日、自宅においてBに対し右追加買付は多額であるからこれによつて損金を生じたときは補償してもらいたい、そのため原告会社○○支店長の誓約書を差し入れてもらいたい旨申しむけ、さらに翌五日、電話をもつてBに対し右の誓約書は支店長の署名と捺印をなし且つ社判を押捺して白紙のまま持参せよ、文面はその上で被告の言うとおり書けと申しむけたこと、Bは被告が自己の開拓した顧客であり、且つ自分の顧客としては最大手であつてこれを手離したくないと考えていたのと、それまでにも本件取引とは別口の証券取引につき被告の求めに抗しきれないまま二度にわたつて自己名義の損失負担約束を記載した書面を被告に交付していて、本件取引につき特に右誓約書の差入れを拒むことができなかつたところから、Kの署名は同人の筆跡にまねて自書し、Kの名下の印は街の判屋で買い求めた印章を押捺し、総務課長が席を外したすきに同人管理にかかる原告会社の社判を取り出してほしいままに押捺し、Kの名の上に原告会社○○支店長と自書し、もつて原告会社○○支店長Kの署名捺印のある文書一通を偽造して、右同日、被告宅に持参したところ、被告は右の文書が原告会社において真正に作成したものでないことは十分にこれを察知していたのに、それでは今から白紙部分におれの言うとおり書いてもらおうと言つて、被告主張にかかる損失負担文言を口述し、作成日付は同月一日としてBにこれを記載させ、もつて乙一号証と同様の誓約書一通を偽造させたものの、右誓約書に押捺された原告会社の社判が薄いといつてBに対し再度同様の文書の取り直しを求めたため、Bはやむなく前同様にして原告会社○○支店長K名義の文書一通を偽造し、被告が口述して書かせた本文はそのまま前の誓約書通りに記載し、もつて被告が求めるままの誓約書(乙一号証)を作成したことを認めることができる。〈反証排斥略〉、他に右認定に反する証拠はない。そうすると乙一号証は原告会社○○支店長K作成名義の部分はBの偽造にかかるものであること明白であつて、これによつて原告会社が被告に対し被告主張の損失負担約束をしたとの事実は存しない。〈反証排斥略〉。

三 そこで原告会社の外務員であるB自身が右誓約書(乙一号証)によつて原告会社のためにする意思をもつて右の損失負担約束をした旨の被告主張につき按じるに、証人Bの証言によると、Bは乙一号証作成の際被告の求めに応じて誓約書の末尾に連署したものであり、前認定のように、すでに二度にわたつて別口の取引につき被告に対し損失負担文言を記載した書面を交付していることに徴すると、被告の右の主張は相当であると解せざるを得ない。これについて原告会社は右誓約書記載の文言は債務原因としては特定を欠く旨主張するものであり、事実この文言自体においてはこれが契約内容の特定を困難とするものが存することは否定することを得ないけれども、その点はなお証人Bの証言並びに被告本人尋問の結果その他の証拠によつて認定することを得べき契約締結の際のいわゆる当該事情を介して、Bの右損失負担約束の内容を被告主張の趣旨において特定することは可能であり、それは又必ずしも公序良俗に反するものではないと言わざるを得ない。

しかしながら、右誓約書にかかる外務員Bの被告に対する損失負担約束をもつてする勧誘行為は(本判決において未だ必ずしも右約束の契約内容を細目にわたつて特定してはいないものの)、証券取引法五〇条二号にいう「有価証券の売買その他の取引につき、顧客に対して当該有価証券について生じた損失の全部又は一部を負担することを約して勧誘する行為」に該当し、証券会社又はその役員もしくは使用人に対し法が一般的に禁ずるところであるから、右約束自体原告会社のような証券会社の営業範囲ないしその関連業務に属するものではないと言わざるを得ない。それ故同法六四条一項によると「外務員は、その所属する証券会社に代わつて、その有価証券の売買その他の取引に関し、一切の裁判外の行為を行なう権限を有するものとみな」されるが、右約束は当然にはここに言う「その他の取引」に含まれるものと言うことはできず、そのため顧客は証券会社において外務員のかかる行為を少くとも許容ないしは認容していたことを立証しなければ、仮に当該外務員にかかる権限あるものと顧客において信じ、これについて顧客に過失がなかつたとしても、当該外務員に対してなら格別、証券会社に対しては外務員の右約束の効果を主張し得ないと解すべきところ、本件においては原告会社がBの右の如きいわゆる保証商いを許容ないし認容していたことを認むべき事実は認められない。却つて〈証拠〉によると、被告は原告会社以外にもわが国における大手証券会社の多くと長期間にわたり多額の証券取引を行つて、○○県における有数の個人投資家の一人としての経験を有すること、被告は、昭和五五年二月一三日、BとKを自宅に呼び寄せ、誓約書の存在について突如言及したが、驚いたKがそれを見せてほしいと要求したのに対し今は見せるわけにはいかないと言つて断わり、翌一四日に被告からKに対し、誓約書の問題はA株の期日が到来してから考えたらどうか、ついては本社に報告するのをしばらく見合わせたらどうかなどと申しむけたことを認めることができる。〈反証排斥略〉。而して右各事実によると被告はBのセールスマンとしての弱味につけ込んで誓約書による損失負担約束をなさしめたものの、これが原告会社に対するBの負い目のない正当な行為でないことはこれを熟知していたものであり、ひつきよう、これについてBが原告会社を代理する権限はこれを有しないことを知つていたものと言わざるを得ない。

それゆえ、他に特段の事情の主張立証のない本件において、右誓約書にかかる外務員Bの被告に対する損失負担約束は結局原告会社を拘束するに至らないものである。

四 そうすると前掲決済損金一億四、六一六万五、九八九円及びこれに対する訴状送達の翌日たる昭和五五年一二月九日以降支払済に至るまで商法所定率年六分の割合による損害金の支払を求める原告の本訴請求は正当としてこれを認容すべく、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、仮執行の宣言(無担保)につき同法一九六条一項を適用して、主文のとおり判決する。

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